本日は天気が非常に良かったんです。
ここ数日、曇ってる空が続いてたので、今日はどこかへ出かけようと思いました。
『エジプトなんだし、ピラミッドへ行かなきゃな』
僕はそう思い、ピラミッドへ向かうべく、地下鉄に乗りました。
そして、その1時間後
僕はピラミッドを見ずに宿のソファに座っていたんです。
ピラミッドへ向かう途中、ワクワクしなかった
宿を出る前から、なんとなくピラミッドへ行こうという気持ちだった。
ここはエジプトなんだし、エジプトといえばピラミッドなんだし、天気もいいんだし。
条件は揃ってた。
きっと、ここ数日の中では一番良いコンディションでピラミッドが見れたんだろう。
けれど、僕はピラミッドを見に行くという行為に対して“ワクワク”しなかった。
一歩一歩、確実にピラミッドには近づいているのに。
時折、空を眺めては
『あぁ、曇らないかな』
なんて事すら考えていた。
ピラミッドを見るという行動へのワクワクよりも、やらない言い訳を探すようになっていた。
それは地下鉄をおり、改札を出ても同じ。
もう少しでミニバンに乗り、そうすれば残りはピラミッドまで進むだけ。
本当にあと少しだったけれど、僕は来た時と同じ、地下鉄に乗り宿へ戻る事にした。
ワクワクしない気持ちのまま、進むべきじゃないなと判断したから。
エジプトだからピラミッドを見ないといけないという感情
今回、すでに赤のピラミッドと屈折ピラミッドを見ていた。
それを見に行く時はワクワクしていた。
なんというか、あまり人が行ってない場所だったし、自力で行けるのかというのも試してみたかったから。
ピラミッドを見たいという気持ちもあったけれど、どちらかというと挑戦してみたいという気持ちが強かった。
けれど、今回僕がギザのピラミッドを見に行こうと思ったのは
エジプトだからピラミッドを見ないとな
という気持ちだった。
確かに、電車とバスですぐそこの距離にピラミッドという世界的に有名なものがあるなら見に行くべきなのかもしれない。
けど、そこに義務的な事を感じてしまうのは違う。
ピラミッドへ行くのは義務じゃないし、行きたい人が行くべき。
こんな事がよくある
自分がやりたい事なのかどうか。
それがわからないまま、それをする事が当たり前かのようになって、何かをする。
旅をしてるとそういう事が結構ある。
よくよく考えたら
なんで、ここにいるんだろうか
って思ったり。
もちろん、やったらやったで何かいいものを得る事もある。
けれど、大半の場合その経験は記憶にも記録にも残ったりしないものになる。
きっと僕が、今日ピラミッドに行ったとしても、その景色を自分の記憶として止めようという気持ちはなかっただろうし、写真を撮るのもブログにアップするためのものしかとらなかったんだろうなと思った。
だから、今日はやめた。
ただ、それだけ。
よくある事を、今日はやらずにやめてみた。
そういう事だった。
やらないという決断がもたらしたもの
ピラミッドへ行くという予定がなくなった僕は宿に戻ってブログを書こうかなと思っていた。
けれど、HUNTER×HUNTER35巻を購入して読む事にした。
漫画は好きだけれど、最近読んでなかったので久々にゆっくり漫画を読んでみた。
読み終わった後は、ケーキを食べた。
キャラメルミルフィーユとシュークリームみたいなやつ。
ケーキを食べた後は、次の春に仕事でタイへ行く事になったのでその件を色々と考える事にした。
自分自身がやりたいと思った
- 漫画を読む
- ケーキを食べる
- 春の仕事をの事を考える
これをやった。
やらないという決断をした事で、やりたいを実行に移す事ができた。
ものすごく単純な事なのかもしれないけれど、実はこれってものすごく大切なんだと思う。
やらないという決断は大切だ
僕はやらないという決断はとても大切だと思う。
一見、ネガティブな事のように捉えられがちかもしれないけれど、“やらない”というのは“やる”に直結する。
時間は非常に価値があって、自分がやりたくもないものにわざわざ自分の時間を割くべきじゃない。
今回の事をいえば、ピラミッドを見たいと心からは思っておらず、見ておこうかなぁぐらいの気持ちの状態で、僕の時間を割くべきじゃないんだという事。
やめる、捨てる、やらない
こういった言葉はどこかマイナスなイメージになりがちだけれど、決してマイナスじゃない。
自分にとって不要なのであれば、そう決断をする事で、本当に有益な物だけを残す事ができる。
だから、僕はいろんな事をやめていこうと思う。
僕が、僕の意思のまま動ける時間は今も1秒ずつなくなってるから。
今回のエジプトの旅中。
僕はピラミッドに行くかもしれないし、行かないかもしれない。
けれど、行くなら何かの理由でワクワクする時にしたい。