どうも、二日前に手術が終わり鎖骨のプレートがなくなった僕です。
まだ傷口が少し痛みますが、思いの外元気でびっくりしてます。
なんなら今日にはお酒飲めるんじゃないか。
4年前、世界一周に出てまだ1年しかたっていなかった時に骨折をして、日本に帰国して手術したんですが、そのプレートをようやく抜いたんです。
旅もして、仕事もして、時間があんまりなかったっていうのもあるんですが、今考えたら時間がなかった事なんてなかったなぁって思いました。
びびってただけだな。
プレートを一生いれて生活する事も可能だという話だったんで、それだったらわざわざ抜かなくてもいいやって思ってたんですが、とはいえ異物が体内に入ってる事には変わりないんで、将来的にそこが痛み出す可能性はあったんですよね。
まじびびってただけだこの小心者。
って今なら思います。
2泊3日の短い入院ではありましたが、その間に色々考えました。
中でも一番考えたのが“時間”について。
4年間、びびって損した
プレートが入ってる状態って、やっぱり不便だったんですよね。
骨の上に板が入ってるんで、リュックを背負うとプレートが骨を押さえつけてる感じが結構あって。
世界一周に出始めた当初はコロコロとリュックになる2WAYバックで旅してたんですが、旅にも慣れて荷物も減ってきた頃には、普通のバックパックで旅をしようって思ってたんですが、結局それもできず現在もコロコロ使ってる訳です。
それ以外にも、やっぱり違和感はあって。
肩こりってどんなものかわからないんですが、きっとこの違和感が大きくなったものが肩こりなのであれば、本当に邪魔やなって思ってはいたんです。
今、鎖骨のプレートがなくなって傷があるんで痛みはもちろんあるんですけど、肩に何かが入ってる感じはないんです。
なんか、ようやく自分の体に戻ったなっていう気がしてます。
こんなスッキリするんだったら、やってもやらなくてもいい手術をビビらずにさっさと受けてればよかった。
そしたら、もっと早い段階で快適な気持ちにもなれてたのになって思ってます。
最初の1年間は骨をくっつけるために必要な時間だったとしても、3年間損したなっていう気持ちになりました。
体って動かなくなる時がくるのを実感した
今回大部屋に入院したんです。
4人の部屋で、僕と2名のおじいちゃん、後は僕より少し若いくらいの人かな。
おじいちゃん2名の具体的な病名はわからないんですが、お一人は腰が悪いようで僕と同じ日に手術をしてました。
もう一人の方は数年前からサポートがないと体が動かない状態らしく、ベッドから動く事も難しい様子でした。
目覚まし時計が毎朝6時になり、一切止める様子もなく、ずーっとなりっぱなし。
3分ほどなると、自動的に一旦は止まるようなのですが、スヌーズ機能が働いてるのかまた同じように鳴り始める。
ご本人はそれを気づいてるのか、気づいてないのか、カーテンがかかってるので見えないのではっきりとはわからないのですが、どうやら気づいてはいない様子。
耳が遠くなってるんですねきっと。
けど、目覚まし時計をかけて起きようとはする。
自分の体って、いつかは自分の体とは思えないくらい動かなくなる時がくるんだなって本気で思った。
そんで、そのタイミングって遠い未来かもしれないけれど、明日なのかもしれないなって。
そう考えると、全身麻酔で手術するのが少し怖くなりました。
もしかしたら、目がさめる事がないのかもしれないとか。
簡単な手術ではありましたが、全身麻酔をする時って同意書が必要なんですよね。
リスクが0な訳じゃないからでしょうね。
一旦呼吸が止まるみたいなので。
そう考えると、今自分の意志で動きたいって思った行動を取れる事って、本当にありがたい事なんだと思った。
嫌な事で頭の中を支配されてる時間がもったいない
手術を受ける前、僕が思っていた気持ちは否定的なものだったと思います。
怖いとか、失敗したらどうしようとか、そんな事ばっかりでした。
それを意味のわからないポジティブな方向に持っていこうと思ったりもしました。
プレートが入ってる方が、講演会をした時に見せて“オー”ってなる。
バカだ。バカだこいつ。
だったらなんだって言うんだ。
でも、手術前の僕はそんな風に思う事で、手術をしない否定的な気持ちをポジティブなものに変換しようとしてたんです。
結構リアルに。
でも、否定的な事を考える時間って本当にもったいないなと思いました。
時間は有限で、限りがあるものなのに、マイナスの事を考えてる時間は本当にもったいなかったと思ったし、悩んでる時間は無駄に近いものだったなと。
嫌いな人っていたりしますか?
嫌いな人がいると、その人の事を考えたりしないですか?
『あいつムカつくなぁ』とか『あいつ消えたらええのに』とか。
そんな風に考えたりすると思うんですよね。
アンチの人とかそんな感じですよね。
でも、まじその時間無駄ですよね。
嫌いな人の事を考える事に、自分の大切な時間を使ってるんですから。
しかも、アンチコメントを送ってくる人は超時間使ってると思います。
本当に嫌いなんだったら、無視するのがいいし、考えないようにしたらいいんですよ。
もしくは、嫌いな人なんて作らない。
それが一番平和だし、なんの問題もないって僕は思ったんです。
時間の使い方の本質を考えた方がいい
時間の使い方の本質って何かなんですけど、きっとそれの答えは人それぞれになってしまうと思うんです。
例えば、ゲームに時間を使う事を無駄だって思う人もいるだろうけれど、ゲームに時間を使う事が自分の仕事に繋がってるっていう方もいますし、SNSばっかり見てる時間が無駄だっていう人もいるだろうけれど、SNSで情報収集し、自分で発信する事が仕事に繋がってる人もいますからね。
なので、時間の使い方の本質は人それぞれで導き出すのが良いと思うんですが、そもそも何も考えずにただ浪費してるのは違うんだと思う。
言い訳をする時間とか、嫌な事を考える時間とか、まったく興味もない事につきあってる時間とか。
そういうのは排除したいなって僕は今回入院して思いました。
自分に残されてる時間がどんだけあるのかは現時点ではわからないし、それなら時間の使い方の本質っていうものをもっと考えてみたいなと。
かといって、僕の生活から旅を取り除く事は不可能なので、現時点では【人と対話する時間】に対してより多くの時間を割きたいと思ってます。
それとあえて言うなら【移動時間】もかな。
移動した時間が多い=多くの場所を訪れてるという点では、旅人にとっては非常に大切な時間だと思っています。
この2つの時間に関して、今まで以上にこだわっていきたいというのが僕の考えです。
時間を有効活用してる方を応援しよう
『時間を浪費してるな』って人と『時間の価値わかってるな』っていう2パターンの人がいて、結論を言うとその人の時間なんで無駄にしようが、有効に使おうが好きに使ってくれたらいいんです。
— 旅丸sho🎒旅する経営者 (@tabimarusho) 2018年6月8日
ただ、サポートしたり、チャンスをあげたり、応援するなら後者かなと僕個人としては思います。
SNSを見てると、時々
『面白くない時間の使い方してる人いるな』
って思う事があるんです。
もちろん、先ほども述べたようにその人が時間の使い方の本質を理解してその時間を使っているんであればいいとは思うんですが、明らかにただの浪費なんだろうなと思う事が多々ある、そしてそういう人は大抵の場合において浪費してる。
その人の時間の使い方なんで、好きに使ってくれていいんです。
むしろ、好きなように人の事を否定したらいいだろうし、好きなように遊んでたらいいと思うんです。
けど、僕は応援する事はないだろうなと。
いざという時に、助けが必要になった際、僕がその人を助ける事はきっとないだけです。
僕は働きアリではなく、そこそこ働いてるけど基本怠け者人間なので、時間を無駄に使ってたなと感じる人間を助ける余力はありません。
でも、頑張ってるなって思った人が助けを必要としてるなら助けてあげたいし、それくらいができる大人ではありたいと思ってはいます。